魚の賛歌 (うおのさんか)
愛の悶えと魚の賛歌
つい先日、昔お世話になった印刷会社の目の前を通り過ぎる機会があった。20代の前半、専門学校に通う傍ら、小劇団の舞台活動に明け暮れる毎日で、そこはその頃にお世話になった印刷会社であった。
当時、公演が近くなると、地元の街の中心部におよそ100箇所ほど、くまなく公演用のポスターを貼るべく、大判二色刷のポスターを劇団員らが手分けして各商店などに頼んで貼らせてもらう、というようなことをした。
そんなことのために毎回、ふざけた内容の粗原稿をその印刷会社に持参し、突き返されることなくいつも真面目な対応で、我々青二才の粗雑な仕事を引き受けていただいて、今思えば顔から火が出るような気持ちになる。
“劇団スパゲッティ・シアター第3回公演
「スパゲッティの愛の悶え」”
その時のポスターがいかに喜劇的で下品で風刺的であったか、私の記憶からは完全に消えている。
個人的に永らく疎遠になっていた劇団スパゲッティシアターの後身・自己批判ショーの小菅氏に訊けば、その公演は1993年、歳末に近い12月19日が公演日であったという。
僅かに憶えているのは、造りの古い老朽化した公会堂の、ガタ落ちしたコンセント。ヘタをすれば感電しそうな設備の悪さ。舞台の袖の内側に埋め込まれたエアコンが館内全体を暖めるとき、その猛烈な温風がステージの幕を激しく揺らし、舞台演出の体を成さない欠陥的構造。
ともかく我々は、貧弱と貧弱とをぶつけ合わせて一つの舞台を成立させるしか、他に何も方法がなかった。
その舞台の中で、この曲が歌われたという。歌った本人である私の記憶はあまりにも拙い。
時空を超えてその楽曲を復原してみようと思い立ったのは、つい最近のことだ。
2012年初夏――。自己批判ショーの小菅氏の協力のもと、数少ない楽曲資料を頼りに、当時の制作を思い出しながら、「魚の賛歌」をコンテンポラリーな形で編曲、再構成してみた。あまりにもローカルで個人的な郷愁の一端であるにせよ、かつての時代を思い出す、いや思い返すことに、私は意義があると思った。言わば、貧弱なる青春時代。その青春時代から遠ざかっていく背後を乗り越え、思いを逆流させてみる。積み重ねられていくものと知らず知らず失っていくものとのせめぎ合い。経験と喪失の斥力。そんな中で今の自己を炙り出していく。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
今は“魚の賛歌”に浸ろう。子供らと口ずさもう。
大海原の魚達、縁日の金魚達――。
口をパクパク開けて、歌い始めるかも知れない。
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